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むすめのうみ

2007-02-14

曲の感想:大きな愛でもてなして 05:12


(1)

PVを見るたび、サイエンス不思議を感じる。理科実験の時間、プレパラート顕微鏡で覗いたときに見える、細胞のうごめきのような、いとしく不思議サイエンス細胞が分裂していくように、化学反応を起こすように、歌と踊りが瞬間ごとに生成される、その驚き、その愛くるしさ。見るたび、強烈な新しさを感じる。歴史的な新しさではなく、生まれたての赤ん坊の産声のように、ただもう決定的に新しいなにか。桃色の衣装を着て踊る八人の女の子たちが、光を浴びて、結びつき、含みあい、奉仕しあっている。そこに音楽が生まれている。当たり前のように、普遍的な、魔法の数分間。機械ではない、女の子たちが、音楽を生んでいるのだ。


(2)

鈴木さんの歌声は、鈴木さんの眉毛のように、まっすぐ滑空する。ぼくは共感覚の持ち主ではないけれど、鈴木さんの歌声を聴いていると、真っ青な空をするどく飛ぶツバメイメージされる。まじりけのないブルーの、澄んだ大気を切り裂いて、飛ぶ一羽のツバメ。誰かが声帯を震わせて、音を鳴らせるという現象の、とほうもなさ。鈴木さんの歌声。「伝説では世界はこんな風さ」。北欧伝説なんかである、妖しく森から響いてきて、若者がふらふらと吸い寄せられて帰ってこなくなる、みたいなときの歌声って、こういうものかと思う。伝説乙女鈴木さんが、真っ白な絹の織物を身にまとい、湖畔で竪琴をひいている。美しい歌声が、森に響く。その歌声がそのまんま、桃色の空間に接続され、はねまわる音符となって、新しい現在になる。


(3)

ぼくは今日、ある用事で、新宿を歩きまわっていた。雨が降っていて、とても寒かった。ぼくは街が、それも新宿のような街が、年々好きになる。どうしてかよくわからない。建物が汚れていくということや、滅びていくということに、関係していると思う。

都会のビルの壁面は、排気ガスで煤けて汚れていく。街はそうして見た目に年をとり汚くなる。ぼくはそういう街が好きだ。そこには自然の美しさとは異なる、醜い美しさがあると思う。

雑居ビルの壁面、高架の鉄筋、上空に浮かぶ巨大な液晶画面、幹線道路を挟んで互いを照らし合うネオンの光、路地から見上げる非常階段。それら都市の汚れは、懐かしく美しい。

℃-uteのこのPVを見ていて思うのは、このとびきり可愛い女の子たちがだんだん年をとって醜く(美しく)なっていくということで、ひとつの街が生まれて古くなり汚れて荒廃していくように、℃-uteというこの無限のきらめきの集まりの放つ熱もまた、だんだん小さくなってゆき、やがて消える。この桃色に彩られた空間が、時間の中で腐食していくということ。ぼくはそのことを最も美しいことだと感じる。よくある無常観(なくなってしまうものが、大切なんだよ)でなく、その腐食が、熱が冷めていくということが、美しいと思う。ひとつの街が汚れていくということ。音楽が終り熱が冷めていくということ。その不思議、理不尽を貫いているのが、この世界の大きな愛なんじゃないだろうか。大きな愛と呼ばれるところのものなんじゃないだろうか。

たとえば今日新宿の街を歩きながら、見上げたビルのいくつかは、きっと一年後には存在していない。同じように、℃-uteの八人の女の子たちが、桃色に音楽を生んだ瞬間も、どんどん失われていく。今はまだ、℃-uteバリバリ活動していて、コンサート会場で日々、新しくその音楽を生み続けているから、それとはわからないけれど、瞬間は瞬間であり、瞬間は永遠ではない。

ぼくがこの「大きな愛でもてなして」という曲を聴いていて感じるのは、今から百年あと、ぼくのいない世界、℃-uteのいない世界に、この音楽がちょっとだけ(秘密で)触れているような気がするということで、だからここには、ひとつの街やひとつのグループがなくなっていく百年間の世界のこと、そのまるごとが、「大きな愛」と名づけられて、あらかじめ封じ込まれているように感じる。ゆえにこの音楽はなくなるが、この音楽はなくならない。というより、なくなるということと、なくならないということが、溶け合ってひとつに融合している、そういう音楽だと感じる。


(追記するかも)

2007-02-08

普通:生まれ変わったらハロプロの誰になりたいか? 11:50

自分で出したお題に自分で答えます。

とくに現時点、候補がないので、ひとまず消去法で考えていくことにします。またここでいう「なる」というのは、単純に(?)現時点の自分が現時点の対象に変化する(ジャックインする)ものとして、考えます。最初から誰かの人生を生き直すということは想像しにくいし、そもそも私という精神が肉体の内部に宿った時点で、ハロプロのみなさんのような素敵な女性にはなれないのではないか、と考えるからです。可変未来モノみたいなややこしい話になる。第一、その前提に立つと、性同一性障害ということになってしまうのではないか。私という個人のアイデンティティがなんなのかというような、めんどくせえSFっぽい話になりそうなのでやめます。私の中に埋めてある宝石がこうしているいまも私になることを学びつつあります(イーガンギャグ)。

ということで、今の私が今の誰かになりかわるとしたら、誰を選ぼうかな?という気分で、以下の文章を記していきます。

まず、自分より年齢が上の人はやめておくことにします。どうせなら若返りたいからです。わたしは83年生まれの24歳なので、稲葉さん、中澤さん、保田さん、前田さん、飯田さん、安倍さんアヤカさん、斉藤さん、村田さん大谷さんを消去します。

次に、成人していないメンバーを消去することにします。もう金輪際、未成年にはなりたくない(よいことがない)というのと、アルコールを摂取したいからです。あといま学校とかに通うのも吐き気がするくらい嫌です。おそらく今、中学高校に通わなくてはならないことになったとしたら、教師を殴ってしまうと思います。逆にどうしてあのころ、教師を殴らずにいられたのかが、よくわからない。温厚にも程がある。教師と警官は死ぬまでに理由なく一度は殴っておきたいと思っています。

そんなことはどうでもよい。未成年メンバーを消去するということで、Berryz工房℃-uteの全メンバーが除外される。新垣さん田中さん亀井さん、道重さん小春ちゃん光井さん、辻さん、加護さん、小川さん三好さん、岡田さんが同じ理由で除外されます。

要するにこういうことだった。20歳以上、24歳未満のメンバーリストアップすればよかった。この条件に当てはまるのは、吉澤さん高橋さん藤本さん、ごっちん矢口さん、松浦さん、里田さん、柴ちゃん、です。たぶん。もれてる人がいるかもしれないが、その場合には他意はなく、べつにわざとではないので、怒らないでください。

この八名からなりかわる相手を選びたい。それぞれのケースで生じるメリットデメリットを考えます。デメリットという言葉はおかしい。デメリットはない。うれしいことと、ちょっとうっとうしいこと、そのふたつを比較して考慮します。

吉澤さんになった場合、うっとうしいというか、なんといってもモーニング娘。という最高のグループリーダーですから、重圧を感じてしまいます。私は中学時代の部活動において、全校で最も早く退部をしたというくらい、頑張ることのできない人間です。責任感もない。モーニング娘。が大好きで、モーニング娘。には崩壊してもらっては困るので、吉澤さんに私がなることはできない。高橋さんになると、さんまセクハラに遭うのでやめときます。ミキティも同様。ごっちんは、おっぱいで肩がこりそうなので、やめときます。矢口さんはなんとなくめんどくさいのでやめときます。松浦さんは顎が痛いときがあるそうなのでやめときます。

里田さんと柴田さんが残りました。里田さん。歴史と栄光あるカントリー娘。唯一のメンバーで、バラエティ番組などでも大活躍をしておられる、素敵な娘さんです。運動神経がよいというイメージもある。柴田さん。宇宙的素敵グループメロン記念日ナチュラル担当であり、単なるかわいさを通り越して、おもしろいくらいかわいい、素敵な娘さんです。もうこの際、どっちになろうがなるまいが、どうだっていいというのが正直なところなのですが、柴田さんになってしまうと、メロンライブを観ることが物理的に不可能になるので、里田さんになることにします。

決めました。ハロプロメンバーで生まれ変わるとしたら里田さんです。あんなに沢山いるなかで、里田さんを選んだということが、意味不明すぎて自分だけ面白いのですが、まあそれは誰を選んでも、意味不明で面白いと思います。設問が意味不明です。里田さんになったとして、私は紳助を殴ってしまうと思います。

2007-01-09

普通:今までイチバン感動したコンサートは? 00:18

自分で出したお題に自分で答えます。長いです。


***

もっとも感動したコンサートは、2004年安倍なつみさんがグループ離脱後、初めてソロで行ったコンサートツアーあなた色」です。パシフィコ横浜の夜の回を観ました。

安倍ちゃん(なっちと呼ぶのに飽きたのでこう呼びます)のコンサートを観るのはもちろんそのときが初めてで、はじまる前からそうとうわくわくしながら、昼のうちから友人と横浜に向かい、中華街の小さなゴキブリが壁を這う汚い店で水餃子を食べたり、山下公園散歩したりしながら、やがて興奮に頬を上気させ、会場に向かいました。パシフィコ横浜ホールはキャパもそれほど多くなく、また確かその日が平日だったということもあり、客もすくなかった。私たちの席は二階のうしろのほうだったのですが、その列にいる客がほぼ私たちのみという、動き放題の状況であり、私たちがフリをコピーしたり、くるくるまわったりしたいタイプの観客であれば、理想的な楽しみ方が可能になったことでしょう。私たちは黙って腕組みをして、ときおり体を揺らし、ちいさく手拍子をしながら、ゆらゆら揺れているタイプの観客なので、あんまり関係ありませんでした。

安倍さんはとても小さく見えた。それまでアリーナクラス大会場でしかハロプロライブを観ていなかったので、ステージとの距離も(その会場でもっとも遠くに配置された客であるにもかかわらず)とても近く感じ、双眼鏡を使う必要も感じないくらい、すぐそこで安倍さんが歌い、踊っているようすを、ぞんぶんに視認できた。安倍さんはかわいく、観ている間中、あまりの興奮に倒れそうになり、やっと立っているというような状態がつづいた。


***

とても印象に残っているのは、曲間のMC部分です。アイドルコンサートなんかに行くと、ちょっと白けるというか、興ざめすることがあるのが、必要以上に大きく気張った声で「みんなー!元気ですかー!」みたいにやられるとき、「ああ・・・。すごいなあ・・・。アイドルですねえ、とてもとても」と、なんとなく一瞬、我にかえる感じがある。それも含めてかわいらしいから、別にいいのだけど。この日の安倍さんには、そういうのが一切なかった。言わされてる感もなかったし、なんというか、あまりに普通だった。そこが何千人の観客を前にしたステージ上であるというより、なんか近所のドトールで友達と駄弁っているような感じの、まとまらないし、話しながら自壊していくノリをかかえた、要するに私のイメージする、純度100%の女の子の話、だった。私はそれを聴きながら、遠近法が狂っている、と感じていた。そこでは、安倍さんのトークのうちでは、なにかひどく大切で言葉で触れようもないもの、言葉で触れようとしたらとたんに嘘くさくなって揮発してしまうようなもの、そういう宝物のような気持ちや考え、いわば大文字の観念みたいなものと、ものすごくどうだっていい(とされる)、昨日食べたごはんの話とか、お母さんとした会話の内容とか、そういうのが、並列に、まったく同じ手つきで、扱われていた。そのことがとにかく衝撃的だった。遠近法が狂っている、というのはそういう意味で、なにがもっとも衝撃的だといって、それを聴いているうち、狂っているのは私のほうだ、間違っているのはこの、手持ちの遠近法のほうなのだ、と思えてきた。なにが大切でなにが大切でないか、あるいはこのことは大切なことだからこのように接さなくてはいけない、このことは大切でないからこのように接していればいい、というような、態度決定の過程のうちに、思考を停止している部分が多くあるということに、安倍さんのトークを聴くことで、気付かされたのだった。カンタンに言うと、愛や平和についてと、水餃子ゴキブリについて、私は同じ声音、同じ身ぶりで、接すればいいんだ、ということに気付かされた(気持ちになっていた)。

もうずいぶん過去のことになっている。MCの内容も正確には記憶していない。おぼえている限りで、こんなことを安倍さんはその日、ある夜のパシフィコ横浜で、言っていた。

(以下は記憶による不正確な再現)

「今って、ほんとに、今、今しかないんだよ。この今だって、ハイ過去、ハイ過去、って、どんどんなってって。今いる、このホールだって、上から見たら箱、箱じゃない?そこに、なっちがいて、観客のみんながいて、スタッフのみなさんがいて、その今っていうのは、ほんとにこの今、今しかないんだよ。それってすごいことだなあ、ってナッチ、思うんだよねえ。ナッチの言いたいこと、伝わってますか?(観客の笑い)」

みたいな流れ。


***

私は最近になって、アイドルを好きでいる理由(べつにそんなの解明する必要はないが)を、ずばり言うとしたら、というよりも、私にとってのハロプロみんなモーニング娘。Berryz℃-uteメロン記念日が、なんなのか、ということを言葉に置き換えるとしたら、あるひとつの言葉で足りる、と思うようになってきた。それは、距離、ということだ。その距離に興味がある。

人と人の距離が近づいていくということ、たとえば恋愛や友情や、そういうドラマの類、それらはとてもエモーショナル感動的だけれど、というかそういうことだけがエモーショナルであるとされることが多いけれど、いっぽうで、その正反対の、絶対に埋まらない距離がそこに厳然と存在しつづけるということ、それもまた、とてもエモーショナル感動的ではないか?と思う。小さな子供のころ、夜空の星を見て、あの星の光は何万光年の距離を長い時間をかけてここまで届いてきた光で、もうあの星は存在しないかもしれないし、そのぐらい、遠いところで光っている(いた)んだよ、と教えられたとき、すごくなんというか、感動した。その距離に思いを馳せて、果てしなさにクラクラした。それと似たような感慨を、私はモーニング娘。Berryzについて、抱いているときがある。彼女たちがアイドルだからであると思う。もし、こんなことはありえないけれど、彼女たちと至近距離で会って、普通に会話をする場面があるとしたら、たぶんその瞬間だけは、私にとって彼女たちはアイドルではなくなる。アイドル、という存在そのものに、ある絶対に埋まらない距離、が含みこまれているように思える。時間と空間によって絶対的に隔たれた誰か、その誰かを想うということ。私にとって、つまりはそういうことなのだ。

あの夜、横浜で、ナッチは距離がなくなる一瞬のことを、言葉でつかまえて、それを私たちに投げかけてくれた。今、ということ。その今のなかに、アイドルを観に出かけていくという行為の代価としては、あまりに大きすぎ、崇高で、普遍的な、真実が潜んでいて、目の前を通り過ぎてまた遠くに行ってしまった。時間は線ではないから、安倍さんの言ったように、その今が過去になり、その今が過去になる、というような線的に流れていく動きのなかでは、とらえきれないことが起こる。確かなのは、その今、あの今があそこに、あの夜のパシフィコ横浜にあった、ということだけなのだ。

私はその日、家に帰り着いて、布団にもぐりこんでから、人がいなくなり、照明が落とされ、そのときにはもう暗闇と静寂に包まれた、パシフィコ横浜のことを想った。数時間前にはそこにいて、私や友人や他の観客と、安倍さんがいて、その今があったホールは、その時点で既に、施錠され、真っ暗闇の無人の空間になっていることだろう。ホールの入り口の正面は、一面がガラス張りになっていて、横浜の湾景が見渡すことができた。私が布団にもぐりこみ、安倍さんもおそらくは翌日の公演に備えて眠りについている、その、ある深夜、街の灯が誰もいないホールの入り口を照らしていただろう。私は「想像力は光よりも速い物質である」という言葉を思い出していた。その距離の向こうを光の速さで想像するということ。今が今しかないということはこんなにも切ないことなのか、とその夜からずっと、今でも、胸がくるしい。

2006-12-22

曲の感想:メロディーズ 03:31

セックスについて歌っていますね。だからなんだ、という感じがしました。すっごいしつこかった。セックスを想起させる言葉の連発という感じで、もうわかったよ!うるさいよ!ばか!という感じで、笑いました。笑うのはいついかなるときでも、ぼくにとっては嬉しいこと、楽しいことなので、たいへん良い曲だと思った。聴いていて、大島渚の「日本春歌考」という映画を想起しました。あれはたしか、なんだかよく意味のわからない映画だったのですが、作中で何度も歌われる「よさほい節」がものすごく印象に残っています。(http://www.geocities.co.jp/MusicStar/9962/zatsu/zatsu_05.html

意味的には「メロディーズ」は「よさほい節」と同じです。心のジュークボックスの同じカテゴリーに分類しました。泣いてるみたいな顔になるのか・・・。とても勉強になったのでよかったと思います。ところで、「よさほい節」を酔っ払って歌うと、ちょっとどうかと思うくらい愉快なので(何度か試しました、確かです)、ちょうど今時分の忘年会シーズン、酒席で大声で、いちど歌ってみるといいと思います。


デート:あさみ 03:31

待ち合わせ場所に犬ぞりであらわれ、あさみさんをピックアップしたのち、モーテルで二時間ばかり休憩し、駅で別れます。


なっち須藤さん、あややキャプテン田中さん、らの似顔絵は、近日中に、必死で描く。遅れてしまったぶん、ものすごく普通一生懸命、心を込めて描きます。へたですけど。いつのまにかこんなに溜まっていた・・・たのしい・・・。

2006-12-08

ハロプロ楽曲大賞 01:33

第5回ハロプロ楽曲大賞2006に投票します。

http://www.k2.dion.ne.jp/~prse/hpma/2006/

設置されたメールフォームで投票するだけでなく、どの曲に投票したのか、公開したうえ、さらにコメントまでつけようと思う。ずうずうしい。しかし自分以外の人が書いている、投票の詳細を読むのは、とても楽しいので、それなら自分にも書く権利(?)があるはずだと思い込み、だましだまし、書くことにする。


*****


<楽曲部門>


1位 メロン記念日お願い魅惑のターゲット」(2点)

剛速球のど真ん中ストレート問答無用の面打ち一本。たとえばこの一曲だけで、メロン記念日未来永劫、メロン記念日である。

ぼくの今年の映画ベスト細田守時をかける少女」、小説ベスト田中哲弥「やみなべの陰謀」(ハヤカワ文庫1999年に出版されたものの復刊)、なのですが、「お願い魅惑のターゲット」も含めて、この三つから共通して受け取った感じがあるように思っていて、それを今ここで一言であらわすと、まあ仮に、「王道感」「疾走感」「スケール感」という三つのキーワードに、集約できるかもしれません。風呂敷を広げ放題に広げ、しかもそれをきちんと回収する、作品としての器のでかさ、度量の大きさ、すなわちスケール感。みなぎる気迫を凝縮して、オンリーワンと呼ぶのはちょっと口幅ったいけれど、しかしそうとでも言うしかない生き生きとした展開を見せる、なまの人間テンション、風のような疾走感。そして、小細工抜き、ごたく抜き、言い訳抜きで、とにかく目の前の客を魅せることだけに徹する、そのものづくりの姿勢、心意気の真摯さに打たれる。王道感。人間芸術にふれて得られる栄養のすべてが、ここにはあると思えた。

楽曲の良さはもちろんのこと、メロン記念日人間力、スケールのでっかさが、そういうことすべてを、この場所に呼び込んでいるような気がする。今年に入って、コンボイを毎週聴き、メロンのみなさんをとても身近に感じるようになり、それどころか、コンボイがなければ今年一年健康に過ごすことができたかどうかわからないというくらい、さまざまな局面で気持ちを救われたりしたのだが、それでもまだまだ、メロン記念日というグループの真のすごさ、明るさ、をぼくも世界もまだぞんぶんには味わっていないのではないか、と思わせるところが、すごい、底知れない。

あと、なんかたとえば、「赤いフリージア」が柴田さんの曲だという感じがするのと同じように、カップリングも含めて、斉藤さんの曲だという印象があるのは、ぼくだけだろうか。くるりの岸田さんが前にどこかで、ベース佐藤さんを「あいつのベースくるりの海だ」と言っていたのに倣って、斉藤さんは、メロン記念日の海だと言いたくなる。ぼくらはみんな斉藤さんのおっぱいの上に浮かんでいるんだ。


2位 ℃-ute「EVERYDAY YEAH! 片想い」(2点)

すき。村上愛さんがいなくなってしまったことはとても悲しいことだけれど、村上さんを不在の中心にするには、℃-uteというグループもまた、あまりに一秒ごとに新しく、魅力的すぎる。これはまったく個人的なロマンチシズムでしかないが、女の子はつねに自分の上を行き、追いついたと思ったらもうずっと見えないくらい先にいる(大槻ケンヂのグミチョコラストシーンのように)、と考えたい。だからきっと、ぼくの考えることなんか、ポップの魔法でこなごなに砕いてもらえたら最高だ。℃-uteのこの曲を聴くことができたのはつい最近なのだけれど、ほんとうに、この曲を今年中に、聴くことができてよかった。とてもかわいくて軽やかで、音の粒のひとつひとつ、歌のことばのひとつひとつがキラキラして、こういう場所から村上愛さんがいなくなってしまったということより、そういう順序でものごとを考えるよりも、こういう場所に村上愛さんがいたということ、村上愛さんがこういう場所をつくったということを、感じ取れる自分になりたいと、ひとりの部屋でかんがえる年の瀬だ。


3位 松浦亜弥ハピネス」(2点)

200回くらい聴いたから現時点で死ぬほど飽きている。でも最高に好きなので投票しておきたい。松浦さんの歌声がいかに豊かに美しいか、ということについて考えるときはいつも、ふと、神様という言葉を持ち出したくなる。そんな大袈裟な話でもなくって、要は、「あの子は天才!神様からなんか授かってる!」とか、飲み屋で唾を飛ばしながら言ってしまいがちだ。ほんとうは、ほかに言葉がないから、とりあえず、無宗教のくせに、神様とかいう単語を持ち出して、それで松浦さんについてなにかを言った気になっている。ほんとうはそんなの、何も言っていないんだろう。

松浦さんの歌を聴くとき、ぼくは無防備になる。安心しきって、体をまかせきって、耳をすましているだけでいい。それが松浦さんという歌手の腕力だと思う。こんな歌を聴かされたら、お腹を上にして寝転ぶネコみたいに、ハナから降参の姿勢をとるしかないじゃないか!この曲の、「泣いてる顔を隠さず見せてください 男の人だって泣くんでしょ」というところでは、松浦さんより3つも年上なのに、もうどう考えても、松浦さんを自分よりお姉さんとしか思えず、心がゆるんで、幸せになる。

松浦さんの黒髪、松浦さんの二の腕松浦さんの目尻の皺、松浦さんの笑い顔と、この曲はこれからずっと、一緒に年をとっていくのだろうと思う。ぼくはそれを、ずっと聴いていたいと思う。


4位 安倍なつみスイートホリック」(2点)

OLさんが聴いてそう。でもたぶんきっと本当のOLさんは聴かないんだろうな。OLさんと話したことあんまりないから知らないけど。本当のOLさんはきっとオダギリジョーノイズみたいな音楽とかを聴いてるんだ。「スイートホリック」は、ぼくの頭の中にいるOLさんが聴いている。こんなくだらないテレビ誰が見てるの?、って思ってる俺みたいなやつが見てるんだよねー、というようなことです(安倍さんの音楽はくだらなくないよ、もののたとえです)。よくわかんない。というようなことを考えさせてくれた「スイートホリック」という曲が、ぼくは好きです。頭の中のOLさんと仲良くなりたい。


5位 Berryz工房笑っちゃおうよ BOYFRIEND」(2点)

この曲がどうこうというより、2006年という年を振り返ったときに、Berryz工房というグループを好きになれたということが、ぼくにとって、もっとも幸福なできごとであったように思う。友達とも会えばBerryz工房の話ばかりしている、もういいかげん、おっさんだというのに。ついこないだも、須藤さんのよさがいまいちよくわからないという友人と、二時間近く激論を交わした。最終的には、おいおまえ、須藤さんがいるのといないのじゃ、ぜんぜんちがうじゃないか、ちょっとじゃあ試しにここで、須藤さんのいないBerryz工房想像してごらん・・・目を瞑ってさあ・・・と、イマジンみたいなことを言い出す始末だった。ぼくに須藤さんの何がわかると言われたらぐうの音もでないのだけれど、友人もぼくも最後には笑顔で、こうして酒を飲みながらの話題を提供してもらえるだけで最高に素晴らしいじゃないか!と、またしてもずるずるに酔っ払い、Berryz乾杯須藤さんに乾杯!と、幸せなまんま、終電を逃したのだった。どんどんだらしないおっさんになっていく。


PV部門>

見ているもののほうが数が少ないので、今回はパスします。


推しメン部門>

小川麻琴さん。


*****


音楽を好きな理由を説明するのはほんとうにむずかしいなと思う。音楽に限らず、なにかを好きだということを、言葉にするのはいつだってむずかしい。だいいち照れるし、こんなの意味ないよ、と思ったりもするし、そもそも自分で自分を嫌いだから、自分の好きなものを、すみずみまで肯定する体力がなく、情けない。でも、できうる限り、それをしたい。それをすることでもっと好きになれるからそれをしたいと、これを書きながら今、思った。

ちょっと早いですが、シヴイズムのみなさん、それ以外のみなさん、良いお年を。そして来年もどうぞよろしくお願いします。