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むすめのうみ

2006-11-25

普通:初めて買ったハロプロのCDは? 23:30

モーニング娘。の『セカンド・モーニング』です。吉祥寺サンロードの中にあるCD屋で、ナンバーガールの『SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT』といっしょに購入しました。1999年高校生でした。ナンバーガールはそのときはそんなに有名なバンドではなくて、たまたま手にとって、イラストの感じに直感的に魅かれて購入して、結局、高校時代を通じて、もっともよく聴き、入れ込むことになるのですが、モーニング娘。のほうはというと、ASAYAN普通の視聴者として面白く見ていて、どんなグループなのか、どんなメンバーがいるか、ということは、情報として知ってはいても、CDを買うほどの熱心なファンではありませんでした。

そのころ私は、アイドル歌謡青春の関係について、言葉になるかならないか、というくらいの漠然とした場所で、思いをめぐらせることが多かった。それはただ単に、なにもすることがない思春期に、チェキッ娘番組なんかを見て、歌を聴き、なんとも形容のしがたい気分、切ないような、馬鹿馬鹿しいような、何かを力いっぱい肯定したいのに、その術を知らなくて、泣き笑いをするしかないような、みじめで明るいヘンな気持ちになっていたことから、自然的に考えはじめました。この気持ちはいったいなんだろう?という、そういう興味がそもそものはじまりです。

アイドル歌謡は、どうしてなのかよく分からないが、何の衒いもないストレートな肯定を歌うことが殆どで、そういう素朴で、ありきたりな肯定は、なにしろ、何でもかんでも否定して疑ってかかる年頃でしたから、心情としてはもちろん、そのまま素直に飲み込むことはできないのですが、不思議と、同い年くらいの可愛い女の子たちが、上手とはいいがたい歌と踊りで伝えてくるものである限り、否定しきれず、それどころか、最初から最後まで道徳の授業で用いる言葉で構成されるような、いわば古いフレーズに、新しく心を動かされ、涙が出るのでした。そこにはなにか、ねじれのような現象があるように思えた。誰かが素朴に口に出したら聞く耳を持たないような、きわめてありふれた言葉で構成された安っぽい真実が、アイドル歌謡フィルターを通すことで、安っぽい真実のまま、ちょうど、太陽の光が水面から水中にまっすぐに射しこむようにして、聴き手の心を新鮮に動かす、というような現象が、起きているように思えた。そして、じぶんがみじめであればあるほど、そういう逆説的な肯定現象は、起きやすいように感じていました。つまり、暗いだけの青春期(青春が明るい季節だというのは大嘘だ、と当時も今も、考えています)のBGMとして、アイドル歌謡は、あまりにもハマりすぎたのでした。今もその癖は抜けきっていませんが、言葉のレベルでなんでも判断しがちなところがあり、それを、そういうことじゃないよ、言葉のレベルだけでは判断できない価値が世の中にはあるよ、ということを、教わったと思います。

逆説的な肯定ということを考えたのは、坂口安吾の影響が大きかったように思います。安吾は、「堕落論」しかり、逆説の人です。マイナスのなかにプラスを見つけ、プラスのなかにマイナスの影を読み取る人でした。愛読していた。「石の思い」の主人公を、まさしく自分だ、と感じた瞬間を、今でもありありと思い出せる。坂口安吾はまた、ナンバーガールにも繋がっていて、両者のファンの方ならご承知のとおり、「桜のダンス」という曲の中に出てくる「私は海を抱きしめていたい」という叫びは、安吾小説タイトルからとられています。

チェキッ娘坂口安吾ナンバーガールとつながってきた矢印は、ここでやっと、モーニング娘。につながります。深夜のラジオ番組を好んで聴いていたある日、モーニング娘。の当時のマネージャー和田氏がやっていた番組で、新しいアルバムの曲が流れました。その曲をかける前、和田氏はこんなようなことを喋りました(記憶による不正確な再現)。

モーニング娘。みんなはよく頑張っている。同い年の子が遊んだり青春を謳歌しているあいだにも、厳しいレッスンに耐えて、ステージに立っている。それでいいのかな?と思うこともあるけれど、ステージに立つ彼女たちが、この曲を歌っているのを、舞台袖から見ていると、それでいいんだな、と思えて、涙が出てくる」

そのあとに流れたのが、「ダディドゥデドダディ!」という曲です。

とても暗い時期に、「一回きりの青春」を歌うモーニング娘。に出会って、これだけは否定できない、と感じたというか、暗い時期だったからこそ、その歌の肯定を、ねじれまくって奇跡的にど真ん中で受け取る、というような芸当が可能になったのかもしれません。聴いていて、涙が出ました。自分が情けない気持ちと、でもそんな情けない自分の今が、青春なんだぜ、一回きりなんだぜ、という、やっぱりどう考えても肯定というよりほかない、あたたかいものが音楽のなかに、アイドル歌謡のなかに、モーニング娘。のなかに、溢れていたからです。それで次の日、この曲が収録されている、『セカンド・モーニング』を買いました。

今まで書いたようなことは、この夜に聴いた、「ダディドゥデドダディ!」にすべて流れ込みます。というより、この曲と、和田マネージャー言葉、それを聴いていた高校時代のある夜の自分、そのときに感じた感動を、なんとか言葉にしてみたくて、そのあともずっと考え続けて、アイドル歌謡青春の関係、というところに、今日は仮に行き着いてみたのでした。

あらためて今、このアルバムを聴いていますが、いい曲が多いです。「NIGHT OF TOKYO CITY」には、つんく♂の描く東京(上京、という言葉に代表される夢フィールドとしての像と、冷たい都会の孤独が重なった都市)が集約されているようです。「パパに似ている彼」の最初のストリングはいつでも不意に胸が高鳴るし、「せんこう花火」を聴くときはいつもナッチに恋をします。「ふるさと」のハーモニーも、「Memory 青春の光」の翳も、「真夏の光線」のきらめきも、「恋の始発列車」の夏の朝の感じも、このアルバムのまるごと全部が、私にとって最初のモーニング娘。、最初のハロプロで、そしてそれはとっても幸福出会いだったという気がします。

音楽は思い出と結びつくといいます。むかし聴いた音楽を耳にして、ふとその当時の記憶が蘇る、というような経験は、誰にでもあるのだろうと思います。私もまた、『セカンド・モーニング』を聴くとき、青梅街道を走るワンマンバスの車中で、イヤホンをしてこれを聴いた高校時代を思い出します。べつだん感傷的な気分にはなりませんが、その都度、思いを新たにするのは、私にとっての青春音楽は、間違いなくモーニング娘。だということで、いつかもっとずっとあとになって、今を思い出すときにも、そこにはきっとモーニング娘。とその音楽があるのだろうと思います。それは、いいことです。

JELLYBEANJELLYBEAN2006/11/27 15:38はじめまして。複雑に絡み合った要素を流れるようにやさしく収束させて肯定という文字に注いでいかれる美しい文章に酔いしれました…ハイ。ハロープロジェクトは音楽に造詣の深いファンが多いとは聞きますがスタンスこそちがえ紆余曲折を経て深みにはまっていった方が多いようにも思えます。私はなんでこんな場所(しかもシヴイズム)にいるのか全くうまい説明ができなくいましたがtakiko17さんのテキストを読んでなんとなく分かったようなうれしい気持ちです。否定の否定であり否定の肯定であり、同時にそこにこだわるだけのエネルギーを昇華してしまうほどの彼女たちの流す汗と涙のもつカロリーの圧倒的な質量etc.私も少し時間を自分サイドに戻して彼女たちの音楽を楽しんでいきたいなと思いました。なにかとせわしい界隈に素敵なテキストをありがとうございました。

takiko17takiko172006/11/28 19:29>wesnさん
はじめまして。わざわざご挨拶に出向いてくださって、ありがとーございます。ぼくはぜんぜん音楽に詳しくないんですけど、音楽から入った人もいっぱいいるでしょうし、もっとべつの理由もあるんでしょうね。月並みですが、十人ファンがいれば、十通りの道筋があるのだろうと思います。いつか、ここに集っている皆さんの辿ってきた道筋も聞く機会があれば、嬉しいなあ、楽しいなあと思います。
「彼女たちの流す汗と涙のもつカロリーの圧倒的な質量」とは、ほんとにその通りですよね。ハロプロほど人間的な体臭を感じさせるアイドル(しかもそれがマイナスでなく魅力になる)はいない気がします。そんなこと言うと他のアイドルのファンの人に怒られそうですが、あくまでぼくにとって、ということです。
ともかく、コメントどうもありがとうございました。


この場を借りて追記。文中にある「逆説的な肯定」うんぬんというのは、ぼく個人の受け取り方についてのことであって、アイドル歌謡やハロプロそのものは、言うまでもなく、まっすぐな肯定そのものだと思います。とても好きです。いま自分で読み返してみたら、この文章の全体が、上から目線でアイドル歌謡を小馬鹿にしているととれなくもないこともないかも、とか不安になったので、いちおうそれだけははっきり書いときます。肯定を素直に受け取れない心性についての話でした。わかりにくくてすいません。

kobeneekobenee2006/11/28 21:37なにかが溢れてそしてこぼれました。こういうの大好きです。

takiko17takiko172006/11/30 21:53>小紅さん
ありがとうございます。